祖父が死んだ
去年の年末祖父が死んだ。
肺炎だった。
89歳だった。
私はあと1日で冬休みだった。
「おじいちゃん、そろそろだめかもしれん」というお母さんからのLINEに私は「じゃあ明日休もかな」と返事をしたら、「いいから仕事行き」と返ってきた。
その「明日」の夜、おじいちゃんは死んだ。
89歳だった。
身近な人が死ぬのは久しぶりだ。
最後に行った葬式は、当時の恋人の義兄(お姉さんの夫)だった。
私は喪服を持っていなかった。今もまだ持っていない。
私が最後に聞いたおじいちゃんのことばは「ここどこ?」だった。その時おじいちゃんは肺炎で入院している病院のベッドの上にいた。自分がどこにいるかわかっていなかったようだった。
そのひと言を聞いた私とお母さんは「ああ、まだ生きそう」と思った。そして何日か生き、治りかけた肺炎がぶり返し、死んだ。
私にとってはけちで優しい祖父だった。
一人暮らしの部屋でしらせを聞いて、少しだけ時間をおいて、涙が出た。
おじいちゃん。
人は死んだらどうなるのか…調べても考えても答えはない。
私はなんとなく「無」になるのだろうなと思う。残された関係者の記憶には残るのだろう。しかしだんだん記憶の隅に追いやられ、思い出してもらえなくなるのだろう。そして隅どころか、記憶からなくなってしまったとき、故人は本当に無になるのだ。
…みたいな気がする。知らんけど。
おじいちゃん。無になったとしてもお元気でね。